おいしい紅茶の種類
Topへ
◇茶器と茶道具
名窯ウェッジウッドの歩み

◆名窯ウェッジウッドの歩み

<ティーテーブルを優雅に彩る>

 イギリス近代陶芸の礎を築いた〔英国陶工の父〕ジョッサイア・ウェッジウッドは、多くの独創的な作品を世に送り出し、大きな貢献を果たしました。
 古くから窯業が盛んな北スタッフォードシャーのバーズレムで、代々続く窯元の家にジョサイアは生を受けました。1730年のことです。父が亡くなると、9歳にして長男が跡を継いだ工房を手伝い始め、兄のもとで厳しい修行を積みました。その間、村を襲った病により、炉風呂を回すのに大切な膝を痛めるという不幸に見舞われましたが、それによってむしろ新しい作陶ぎじゅつのかいはつに力を注ぐ決意をしたのでした。

 その後、その地方でもっとも進歩的な陶芸家として知られていたトーマス・ウィールドンの工房で作陶に励みます。ここでの5年間、ジョサイアは独学で歴史や美術、文学の世界に詩やを広げ、一方で、工房経営など事業家として必要な事柄も貧欲に学びとっていきました。

「英国陶工の父」と称されるジョサイア・ウェッジウッドは、1730年、“チャーチヤード工場”を営んでいた陶工トーマスとメアリー・ウェッジウッドの末子、第13子としてイギリス、スタッフォードシャーに生まれました。9歳の時に父親が亡くなると、長兄の受け継いだ工房で徒弟となり、修業後、1754年には当時英国の最も偉大な陶工で、フェントンのマスターポッターであったトーマス・ウィルドンとの共同経営に入ります。そこでジョサイアは実験につぐ実験を重ね、アゲート ウェア、クリーム ウェア、新しい釉薬などの研究を進めました。彼は、後にこう記しています。「作品の胎土、上釉、色、形をたえず改良していこうと試みる時、我々を取り巻く大地は限りなく広がり、良い土は豊富にあり、労をおしまず努力する者には、その苦労にむくいる充分の恵がある。」これらの実験がその後の活躍の布石となり、また事業に欠かせない財産となりました。

「これまでの陶芸を一歩進めて、芸術の域まで洗練させたい。」
それを夢見たジョサイアは、生涯、研究と実験を重ね、いくつもの名品を誕生させました。完璧を目指して実験を重ね、白い食器を作るのが難しかった当時にしては画期的な乳白色の「クリーム ウェア」を生み出します。この優雅なクリーム ウェアは時のシャーロット王妃を魅了し、1766年、シャーロット王妃より「Potter to Her Majesty(王室御用達の陶工)」と認められ、「クィーンズ ウェア」の名が与えられます。ジョサイアはこの時点で満足せず、さらに研究、実験を重ねました。そして、1768年には深みのある光沢を放つ「ブラック バサルト」を完成。さらに、1774年には数千回の試作を経て、最大の偉業であるオリジナルの素地「ジャスパー」を完成。このユニークなストーン ウェアは、地の色はさまざまで、その上に古典的なレリーフを施してあり、まもなく世界中で多大な人気を博すこととなりました。

「用の美」を求めたジョサイアの精神は、彼の没後もウェッジウッド社に受け継がれています。特有の艶やかな白と透明感、堅牢を誇る「ファイン ボーン チャイナ」は、ジョサイアII世の時代に改良を重ねて生み出され、製品化されました。最近ではジャスパーの新色発表など、そのチャレンジはとどまるところを知りません。ジョサイア・ウェッジウッドは、実業家としても相当な手腕を発揮し、着実に事業を拡大していきました。

1759年、28歳のジョサイアは、アイビーハウス工場(Ivy House Works)を借り受け、独立。すなわち、これがウェッジウッド社の創立です。その後、工場をブリックハウス(Brick House)、自身で建設したエトルリア(Etruria)へと移しながら、ウェッジウッド社を不動のものとしていきます。特に、当時としては最大級の工場であったエトルリア工場では、合理化、規律、品質管理、専業化、従業員の福祉・健康管理など、革新的なシステムを導入していき、科学と美と事業を一体化し、「質の高さ」と「多くの人々の手に」という一見相反した理念を実現していきました。このジョサイアの精神こそ、現在のウェッジウッド社に流れている基本理念となっています。 ジョサイアはまた、ビジネス上のパートナーにも恵まれ、斬新な発想を実現化し、成果をあげていきます。当時、首都ロンドンにエレガントなショールームを設けたのもそのひとつです。目抜き通りに開設したショールームは、宣伝方法として大変な効果をあげました。このショールームのマネージャーにもなっていたのは、1769年から共同経営を始めた、生涯の友トーマス・ベントレーです。トーマスは裕福なリバプールの商人で、芸術、文化に造詣が深く、彼の知識や社会的人脈は、ジョサイアの人生及び事業に限りない影響を与えました。

また、他の斬新なアイディアとして、商品カタログを初めて制作した事も挙げられます。現代ではよく見受けられる手法ですが、美しいカタログを店に置くことで、在庫がなくても注文を受け、効率よく生産することを可能にしました。

「英国陶工の父」ジョサイア・ウェッジウッドは数多くの作品を残していますが、単に陶工、アーティスト、企業家にとどまらず、リバプールから内陸までをつないで掘られたトレント&マーシー運河設立に大きく携わったりと、社会事業家としての側面も持ち合わせていました。また、アメリカの独立運動やフランス革命に賛同し、協力を惜しまなかった革新的精神の持ち主でもありました。科学者としてのジョサイアはまた、当時として画期的な窯の中の高温を測るパイロメーターを発明し、王立協会(Royal Society)会員にも選ばれています。ジョサイアは、1764年、いとこのサラと結婚しました。彼は家庭をとても大切にし、製品を作る際は、「サリー」と愛情を込めて呼んだ妻 サラのアドバイスに必ず耳を傾けました。

サラとの間に誕生した子供たちは、ジョサイアの陶工家、科学者、社会事業家、企業家など、あらゆる側面を受け継ぎ、活躍しました。長女のスザンナは後に『種の起源』を発表したチャールズ・ダーウィンの母親となり、長男のジョンは王立園芸協会の初代財務長となりました。また、事業を次いだ次男のジョサイアII世は、画期的な美しい素地 ファイン ボーン チャイナを完成させ、最年少の息子、科学者トーマスは、「英国写真の父」という称号を与えられています。 そして、その子孫にもジョサイアの科学的、革新的精神は脈々と引き継がれています。ジョサイア・ウェッジウッドは、1795年1月3日世を去りました。彼の傑出したパーソナリティと周囲に与えた影響力はあまりにも大きく、ジョサイアほど陶磁器産業の発展に変化をもたらした人はいないといっても過言ではありません。
『芸術と技術の融合を目指し、時代を先取りした製品を次々と生みだす』ことを夢見たジョサイアの革新的精神は、二世紀を超えてウェッジウッド社に脈々と受け継がれています。